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わたくしごと・・・⑨

日中は暑い日もありますが季節は夏から秋へと徐々に移り変わっています。
確か10年程前に敷いて庭の仕事を始めるきっかけの一つにもなった
この耐火レンガの通路も周りの丸太が一部朽ちたりして
少し様変わりもしていますが通路は更に地面と馴染んでいるように思います。
CozyGarden191.jpg

朽ちていくもの、変らぬもの、馴染んでいくもの・・・
時の流れは季節のように移り変わっていきます・・・。


家を建ててからこの年の秋で4年の月日が経とうとしていた。
その間には今までも書いてきたように様々な事があった。
家の周辺の状況も建てた当初とは大きく様変わりしていた。
家の横には最初の入院の時に工事中だった大きな道路が一部を除いて開通した。

しかしながら我が家の庭の方は具体的なプランも浮かばないまま
いたずらに時間は過ぎていった。
南の敷地境には現場で余った間知ブロックを横に2段ほど自分で積んだだけで、
この時はやる気も起こらず、たまの草刈も仕方なしにやっていた。

会社の方は社員も増え現場代理人ばかりが多くなり仕事が分散され
現場事務の女子社員も増えたので役所へ提出する竣工書類も
以前のように徹夜するほどのことも無くなった(勿論時にはあったが・・・)
そんなわけで残業や休日出勤も極力しないようにと言うお達しが出て
それに伴い時間が出来たのと比例して給料やボーナスも徐々に目減りしていった。

公共事業自体も社会情勢と共に徐々に減り出していた。
月に2回ほどあった原価会議も現場の状況にあまり関係なく
少しでも実行予算を割りそうなら社長や専務から容赦ない叱責が飛んだ。
もっともお気に入りの社員には少しばかり物腰も
柔らかい感じにもなっていたが・・・
おれはと言えば、勿論、容赦ない方が多かったわけで・・・たははは。
会議が近づくにつれ代人達は自然とピリピリとした空気をかもし出して
社内の雰囲気もあまり好いとはいえない状況だった。

そんな状況もあって入院後から行っていたスイミングに1日おきに通い
フラストレーションを発散するかのようにジムでひたすら身体を鍛えていた。
飲みに行けば会社の愚痴と悪口が以前にも増して口をついて
出るようになり、あまり美味い酒を呑んでいるとは言えなかった。


社会や会社の情勢のせいか民間の工事も徐々に増えていった。
そんなある日、以前造成中に手伝いに行った事のある住宅団地にある
一件のお宅から庭にする部分の土の入れ替え等の土工事や
貼り芝等外構工事の仕事が発注され、おれのところに仕事が回ってきた。

測量に行き概要のデータを上司に提出すると程なく契約できたようで
それ程時間を空けず着工する事になった。
当時は今みたいに自分で施工するわけでなく(勿論手伝ってはいたが・・)
施工管理やら材料の発注など、あくまで現場代理人としての仕事をしていた。
工事も進んだある日、お施主さんから庭の設計をして欲しいとの
依頼があったので事務所で図面を書こうと考えたのだが
いかんせん知識も経験もなく、なかなか進まなかった。
工事の方は概ね順調に進んでいたのだが、
一向に出来ない図面に痺れを切らしたのか
『このようにお願いします』とお施主さんご自身で描かれた図面を手渡された。
一通り工事も終わったので挨拶に行くと
玄関のアプローチや駐車スペースも弄りたかったようだった。
一部施工してもらった外注の業者さんとお施主さんとで
直接話をしてもらう事にした。

会社にも上司にも報告せず勝手に判断してしまったが
現状の今の会社の体制で本当にお客さんの満足できる庭が出来るのか
甚だ疑問だった事も根底にはあった。

後日そのお宅の近くを通りかかると石積みの花壇や
石貼りのアプローチや庭にはパーゴラが出来ていた。
チャイムを押して出てこられた奥様と話をすると
たいそう喜んでおられた。


一体何処の誰が喜んでいるのか判らず、時に役所、時に会社、
時に地元、時に外注さんからのクレームはあっても
喜んでいる人々の顔が見えず、
事が起きれば責任の重い割に合わない現場代理人という仕事に
以前から抱いている疑問がふつふつと沸き起こっていたが
会社を辞めて何をすればいいのか、
でも会社に勤めていれば給料はもらえる
といった感じで、ただただ漠然と、
もやもやしたものを抱えて日々を過ごしていた。 そのころ世間は徐々にガーデニングブームとなっていた・・・と思う。
かみさんも少しずつ植物を植えて家の周りを飾り始めた。
つられたのか、かみさんからの『あそこをこんな風にして』
といった指令だったのか、いつしかおれ自身も徐々にはまり出し
山腹工事の現場の帰りや休みには山採りした白樺や雑木を
庭の周辺に植えだしたり、少しずつ芝生を貼りだしたり
丸太でパーゴラを造ったり、花壇を造ったりし始めていた。
この部屋のすぐ脇に植えてあるブラックベリーも
この年の春に先輩からもらったものだ。


テレビや雑誌でも庭の事を取り上げる番組や記事が増えていたように思う。
庭の書籍も以前からあった他にもムック本などが書店の棚を飾るように
なっていた。
我が家にも徐々に庭の関係の本が増えていった。
『TVチャンピオン』の『ガーデニング王選手権』等も興味深く見て
あれは好いとか、これはいまいちだなと勝手に評論していた。

そんな初冬のある日の夕方、あのお宅を紹介した外注の専務が
何処かの現場で使って余った耐火レンガを
『少しだけど要るなら置いていくよ』と仕事の帰りに
わざわざ寄って耐火レンガを置いていってくれた。


居ても立っても居られず翌日から仕事が終わるとレンガ敷きの工事を
スイミングに行く日以外は毎日やっていた。
投光器の光を頼りに寒空の下で鼻水を垂らしながら
目地を詰めたこともあった。

ようやく完成したこのレンガの通路は新たな夢への通路でもあった。
何となく本当に漠然とではあるが次への道筋が見えてきたような気がしていた。

その年の後半はたまたま山腹の現場を持たされて、
久しぶりに楽しい現場だったのだが、
年明けから近年稀に見る積雪量で工事は雪解けまで
休止となってしまった。

ようやく雪解けとなり工事も再開出来た頃、
この会社を紹介してくれた先輩からある噂を聞いたのだった。
『最近会社の様子どうよ?』
『なんか社屋新しくなったり人も増えたせいもあると思うけど
ますますキリキリして給料も少なくなって段々食えなくなってきてるよ』
『ふ~ん、やっぱりな』
どうやら会社の状態は思わしくないようだった。
巷では『あそこがやばい』『いや、あっちの方が先だと』
地元の建設会社の倒産の噂が囁かれ始めた頃でもあった。
そんな事を聞いてもさして驚きもしなかった。
後日、同僚や先輩にその事を告げても信じる人は少なかった。

それより何より会社より前に徐々に
自分が破綻しそうな状況になってきていた。
住宅ローンや車のローンで生活は逼迫していた。

そんな状況下でもサラリーマンとして給料を貰える生活には
当然未練もあった。
蓄えも無いまま会社を辞めて起業するにも当然不安はあった。
独身の頃と今はすっかり状況も変っている。
庭の仕事をする事もまだ漠然としたものしか考えられず
どのように営業していくかも、まだはっきりとは固まっていなかった。
何より会社に退職願を出す勇気が湧かなかった。
それでも辞めたい気持ちは日に日に強くなっていた。

退職願を書くことすら、ずるずると一日、一日と先延ばしにしていた。
ボーナスは欲しいけれどボーナスを貰ってすぐ辞めるのは
いくらなんでも不義理な気がしたし、
かと言ってこれ以上この会社に居る事も出来ない自分も居た。
かみさんには話してあったので、あとは自分の決断だけだった。
直属の上司というか先輩には以前からそれとなく告げてあった。
ずるずる、ずるずると日にちだけが経過していった。

せめて辞める2ヶ月くらい前には提出しようと思っていたので
8月も終わる頃ようやく退職願を書き出した。
その手の本を買ってきて、書いては丸めを繰り返しようやく書きあがった。

それでも確か1日、2日ほどは躊躇して持ち歩いていたと思う。
意を決して部長に手渡した。
それから数日してもなかなか上にいっていない感じがしたので
丁度事務所に居た専務に直接告げることにした。
かなり辛らつな言葉を投げつけられた。

正直この時期の細かい事はよく思い出せないが
10月末までの約2ヶ月間は何とも言い難い感じで過ごしていた。
既に会社では当たり障りの無い仕事ばかりだった。
皆の態度も何となくよそよそしく寂しい感じもした。
ようやく退社する日が来たのだが最後の日の事は全然想い出せない。

こうして約7年半のこの会社での勤めも終わり
一番のきっかけが何だったのか今となっては、
はっきりと想い出せないのだが今までとは比べようも無い
長い時間をかけて探し出した新たな道への一歩を踏み出した。
36歳になって間もない晩秋の事だった。

この記事へのコメント

- こじぞう - 2006年09月08日 20:50:41

ジェロさん、こんばんは。
亀レスですびばせん。
2回目の起業でございます。
実際に社名を決めて活動しだすのは
約一年後なので37歳の独立なので
ありますv-233

そーかー - ジェロ - 2006年09月05日 00:12:37

36の独立だったんですね
一番知りたかったわたくしごとです(笑)

分かりました
アタシが
人の半生聞くことが好きなんだと(笑)
人生波瀾万丈と書くと陳腐になりますが
36の独立は勇気あるなぁと
素直に思います

- こじぞう - 2006年09月04日 08:09:33

紫親父屁
おれはこの時はまだ転げ落ちる
2歩くらい前かな?
模索していた次の道も見つかって
もやもやしたものも晴れた転換期だったよv-410

ん~思い出される - 紫親父 - 2006年09月04日 00:53:11

時同じ頃ぐらいから
ゆっくりと転げ落ちていった v-419

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