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わたくしごと・・・⑩

雨の影響で昨日から寒いくらいです。とても半袖ではいられません。
ストーブ焚いたりしちゃってます。
『わたくしごと・・・』シリーズも、いよいよこの仕事を起業するまで
の部分にさしかかろうととしています。
想えば七年前に始めた今頃は37歳に成ったばかりでした(ふっ・・・遠くを見る目)
早かったか、短かったかと言われれば本当に
長く感じる七年だった気がします。
特に3年を過ぎた頃から来る日も来る日も
ローラーで押しつぶされるような毎日でもありました

と言ったわけで44回目の誕生日を迎えた今日、
あらためてこの仕事を始めて歩んできた七年間を
振り返ってみたいと思います。
(とさりげなく誕生日をアピールしるって、さりげなくねぇかたははは)

今回、先日まで仕事のお手伝いに行っていたS工業の社長さんには、
会社を辞めたこの時期、本当にお世話になっていました。感謝感謝
今回も手伝いに行ったのは日当稼ぎは勿論ですが
その頃のご恩返しの気持ちも少なからずあっての事でございます。
と言うわけで始めさせていただきます。

いつもの事ながら、いやいつにも増して長くなってしまいましたが、
よろしくお付き合いくださいませ

――――――――――――――――――――――――――――
話は少しさかのぼるが髄内釘を抜いた手術後初の現場は
下水道の本管工事でS工業と言う初めて仕事をする外注さんだった。

以来Ⅰ社長は何かと懇意にしてくださりプライベートな事を
話す機会も多かった。
会社を辞めること、独立して自分が庭の仕事をやりたい事なども
それとなく話してあった。

会社を辞めてからしばらく経ったある日、
そのⅠ社長から連絡があり中信と北信地方の境辺りにあるある村の
下水工事の現場代理人としてバイトで好いから行ってもらえないかと
打診があった。・・・と言うより結構強力にプッシュされた。

一時期より減ったとは言え当時はまだまだ下水道の本管工事も
村部などはまだまだこれからと言うところで発注もそこそこあった。


ここで少し話はそれるが、公共工事=悪と言う風潮が出来て随分経つ。
勿論、本当に無駄な工事をしていると思える事は多々あるが
実際に地場産業も少なく働き口が少ない村部等では公共事業によって
数少ない商店や地元の業者が潤う事をこのとき実感した。
何でもかんでも都市部の基準や富裕層と思える政治家や県知事が
自分の生活を基準として考える昨今の風潮は如何なものかと
一家言呈しておく。

勘違いされないよう書いておくが、おれは税金を使った無駄な
公共事業を推奨しているわけではない。
不必要な工事は沢山あるのも事実だと思う。
ただ目で見て肌で感じた事を書いておこうと思ったまでだ。

それにわざわざ施工状況が悪くなるような冬場に工事が集中するような
予算編成や役所の発注と言った根本的な部分をそろそろ見直す時期に
来ている気がする。
まぁ最近は公共事業に殆ど関わった事がないので
的を外れている部分もあると思うがご勘弁いただきたい


-閑話休題-


高速を使って家から現場まで一時間と少し遠いのが難だったが
金銭的にも好条件を提示され高速代、燃料代等の経費も
社長さんの会社で持ってくれると言う事で、
まだ本格的に庭の仕事をする体勢になっていなかったおれは
一にも二にもなく引き受けた。
フリーの現場代理人と言うわけだ。

いずれにしろ季節はこれから冬になるわけだし、
その間に出来る事は準備すれば良いと思った。

一緒に仕事をする外注さんも同じ市内のH興業さんだった。
会社を辞めてから僅か10日程で再び現場代理人をする事になったのだが、
会社から解き放たれてフリーとなった今は同じ仕事でも
全然別のものにさえ思えた。

役場の人や地元の方々も親切で一緒に働くH興業の皆も
気持ちの良い青年ばかりだった。
この頃、休日の前には仲間として誘ってくれて
よく呑みに行ったりしていた。
彼らとは今でも友人としてお付き合いしている。

工事の方は大岩が出たり、寒さもきつく何かと大変なことが多かったが
それでも気持ちは軽やかで何より縛られない自由さを大いに満喫し
昼飯に弁当を食っている時など晴れた青空を見て働く事
働ける事の幸せをしみじみと感じたりもしていた。

その村の現場も終わり、そのチームのまま元請けの建設会社のある
近隣の町へ移って何やかやで工事や書類の提出が終わったのは
既に5月も半ばを過ぎていた。

そろそろ長い時間をかけて見つけた本来の道に戻る季節になっていた。 前の会社の同僚だった営業のCさん(女性)が
春先に知り合いのKさんを紹介してくれたりしていたので
時期的にもそろそろ庭の仕事を始めなくてはと、
設計や見積もりを急いで始めた。

庭の図面の描き方や施工金額の相場など詳しく知らなかったので
以前、耐火レンガをくれたS組の専務さんに聞いたりして
見積りを進めていった。

当時はまだパソコンもなかったので手描きの図面に
ワープロで打った見積書を作りKさんのお宅へ伺い
デザインコンセプトと工事金額などを説明した。
最初、見積り金額に驚かれたが、あくまで叩き台でご検討ください・・・
と告げてKさんのお宅を後にした。
数日後、Kさんから連絡があり予算も決まり工事を始める事になった。
まだ社名も決めていなかったが、紛れもない最初のお客様だった。

当時、自分でも一部施工はしていたが基本的には
ガーデンデザイナーとして仕事をしていこうと思っていたので、
施工の方は知り合いの庭屋さんに発注したり、
当時はエクステリアの関係もやっていたので
業者さんに発注して物置等も作ってもらったりした。

材料と外注費で終わり手元に残る金額は本当に僅かだった。
殆ど無いに等しい位の金額だったが、
それでも初めての仕事が無事に終わり、
お客様とも親しいお付き合いをさせて頂き、
お客様が喜ばれる顔を見られるのが何より嬉しかった。

それからしばらくは次の仕事も決まらずにいたが
ある日、たまたまかみさんと行った近所のホームセンターで
20年ぶりに再会した先輩の奥さんに(奥さんもおれの先輩だが)
庭の仕事を始めた事を告げると目隠しの木製フェンスを造りたいから
一度家を見に来てと言われた。

後日お邪魔すると先輩と奥さんが自分達で造った素晴らしい庭だった。
先輩との久しぶりの再開に話にも花が咲き
また共通の趣味を持つもの同士の楽しい時を過ごさせてもらった。
後日、図面と見積りを持って行くと予算も決まって
仕事をさせて頂く事になった。

それからしばらく経ったある日、Cさんから妹さんを紹介され
妹さんのご主人が集めた払い下げの枕木を使ったデッキと
庭の設計を依頼された。
ローンで買ったばかりのパソコンのペイントソフトで
060914_2138~0001.jpg

おそろしく時間をかけてイメージ図を描いていたりしていた。
060914_2139~0001.jpg


結局庭のほうは予算の関係もあって没となったが
デッキの方は作成を依頼されたため
Cさんにお世話になっているお礼も兼ねて
今からは考えられないほどの安い金額で造ったりしていた

時は1999年7の月、
中学生の頃に読んだ『ノストラダムスの大予言』では
人類は終末の時を迎えているはずだった。

この記事へのコメント

- こじぞう - 2006年09月17日 09:23:06

ジェロさんへ
ありがとうございますv-421
44回目の誕生日を迎えましたが
特に何もせず、特に何も変らず・・・
といった感じでございます。

おっ - ジェロ - 2006年09月16日 00:34:53

誕生日おめでとうございます
幾つになっても誕生日は
意味がありますから(笑)

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私の稼げる情報・気になる情報 - 2006年11月15日 01:34

政治家の仕事現場について

政治家の仕事現場はどこでしょうか。国会や議会だけではないのですね。

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Author:こじぞう
いろいろつくりまふ。むふふ
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